「専門分野+α」で生み出す多角的な視点

「オタク」も極めれば
視野が広がる

眠田 直

P R O F I L E

眠田 直(みんだ なお)●1963年生まれ。マンガ、アニメからゲーム製作までなんでもこなす万能作家。中学在学中から同人誌活動を始め、83年漫画家としてデビュー。何作かの単行本を出した後、90年からパソコンゲームの演出・監督を手掛けるほか、ビデオアニメの脚本もこなすなど活動範囲は広い。94年有限会社ウォーマシン設立。95年秋に岡田斗司夫、唐沢俊一とともに「オタクアミーゴス」結成、定期的にトークショーを行う。最新の著作は『クソゲー天国』(箭本進一氏と共著、ぶんか社)。

かつて「オタク」といえば、狭い世界に閉じこもり自分だけの趣味に没頭する、という暗いイメージがつきまとっていた。だが、今は違う。1つのことを徹底的に突き詰めて、そこから新たな世界に興味をもち、次々に知識が広げていく。「オタク」こそ幅広い見識をもつバランス感覚あふれる人種なのだ。現代「オタク」の牽引役、眠田直さんにその極意を聞く。



オタクは陽気で開放的な
マルチ人間

 「ヘンなもの見つけたら黙ってなんかいられないでしょ。みんなに見せびらかしたいじゃないですか」

 オタク界きっての生え抜き、眠田直さんはそう言いながら屈託なく笑う。「オタク」という言葉から連想される暗くて内向きなイメージからはかけ離れて開放的で、明るい雰囲気の人だ。「出来の悪いビデオアニメはみんなで笑い飛ばさなくちゃ、辛くてとても見ていられない」。そういうノリなのだ。

 中学二年のころ、眠田さんはいしいひさいちの漫画『がんばれ!!タブチくん』を読んで衝撃を受け、四コマ漫画家を志そうと思い立つ。同時に、松本零士原作の人気テレビ番組『宇宙戦艦ヤマト』に触発されてアニメにものめり込んだ。同人誌を立ち上げて描きまくっていたところ、その活動がきっかけとなり二〇歳で漫画家デビューを果たしたのが一九八三年のことだ。その後、九〇年代からはパソコンゲームの脚本・監督、ビデオアニメの企画・制作と活動の場は広がり、とても単なる漫画家とは呼べなくなった。 眠田さんの名刺には「作家」と刻まれている。あまりに仕事の幅が広がりすぎて、ほかに適当な肩書きが見つからないのだという。

 そんなマルチタレントな眠田さんだが、れっきとした「オタク」でもある。アニメはむろんのこと、『スタートレック』や『ポケットモンスター』には徹底したこだわりをみせる。キャラクターグッズや古い映画のポスターやチラシ、コミックの数々は増えすぎて収拾がつかなくなりそうだったので、一年前に自宅と同じマンションの別の部屋を借りて移すことにした。その一部屋は整然と並べられたコミックで埋まり、まるで古本屋のようだ。

 「と学会」という団体にも参加している。UFOやオカルト、大予言について書かれた怪しい本を、みんなで集まって笑い飛ばす読書集団である。著者たちは真剣でもはたから見れば「トンデモない」というわけで、「と学会」だ。九五年には岡田斗司夫氏、唐沢俊一氏と三人で「オタクアミーゴス」というグループを結成した。SFと模型のオタクで東京大学では「東大オタク講座」までもつ岡田氏と、古書やオカルト本に執心し『古本マニア雑学ノート』(ダイヤモンド社)を著した唐沢氏とのトリオは絶妙で、三人が超オタク知識をもとに“怪しい話”を披露するトークショーはいつも爆笑の渦に飲み込まれる。今年は北海道から沖縄までほぼ毎月のようにライブを行ない、地元のオタクファンに歓迎された。


一つの分野を手がかりに
知識の輪は無限大に広がる

 こうしてみると、自己の殻を突き破る新しいオタク像の誕生かと思えるが、眠田さんはこれを否定する。

 「たしかに家の中に閉じこもって人と話さないようなオタクもいますよ。でも、そういう人はむしろ例外。趣味の世界に本当にはまりだしたら、外に出ざるを得なくなるはずなんですよ。イベントなどで知り合った同じ趣味をもつ人たちと情報交換しあったりして、学校や会社とは違う場でどんどん世界が広がっていくんです」

 世間でいわれるよりずっと能動的な人たち。それが昔から変わらない真のオタクなのである。

 オタクといえば、一つの分野にのみ凝り固まってカルトな知識を追究する人たち、というイメージもある。だが、「のめり込み方が一定ラインを超えると、知識の幅はむしろ無限に拡散していく」と眠田さんは言う。

 例えばポケットモンスター。まずゲームにはまり、次にアニメに興味をもち、さらにはキャラクターグッズを集めだす。そうこうしているうちに、原作者や脚本家、監督、果ては声優のことについても詳しく知りたくなる。ライセンスに基づいて規格が決められているはずのキャラクターグッズ一つをとっても、メーカーや作者によって微妙に表情が異なるという。何度も店に足を運んではじっと眺めていればその違いがわかる。すると、今度はグッズの原型を作る人にまで興味をもつようになってしまう。

 「好きなことを突き詰めていくと世界がグッと広がっていきますね。中途半端だったり、流行に乗っているだけの人が一番ダメ。そういう“薄い”人は『最下級のオタク』って呼んでます(笑)」

 以前、趣味でパソコンをいじっていたときに、当時ゲーム製作会社に勤めていた岡田斗司夫氏と出会った眠田さんは、誘われるままにゲーム製作の仕事を手掛けるようになり、以来、興味の赴くままに脚本、監督の仕事にも手を染めていった。「一念発起して何かを始めるんじゃなくて、気がついたら仕事が増えてきたという感じ」という眠田さんの人生は、まさに「好きこそものの上手なれ」。興味のあることに没頭していくうちに、知らず知らずに専門領域が広がってきた。今では「親にも自分の仕事を説明できない」ほどになっている。


国境をも越える
オタクの草の根交流

 マニアックな趣味の世界を通じて海外にも友だちの輪は広まった。あるときアメリカを旅行して、自分たちと同じように“濃い”オタク外国人が存在することに気づいたのだ。日本のアニメは九〇年代以降、外国でも徐々に人気を獲得しつつあることは知っていた。海外のその筋のホームページを覗けば「OTAKU」というタイトルが当たり前のように使われている。しかし、多くは『機動戦士ガンダム』や『アキラ』など、なるほど外国人受けしてもおかしくないような作品を扱っている。  「ところが、現地で知り合ったあるアメリカ人は、『めぞん一刻』とか『気まぐれオレンジ・ロード』にはまっていると言うんです。陽気でアグレッシブなアメリカ人のくせに、なんでこんなうじうじした恋愛ものが好きなんや、って聞いたら、『アメリカ人だって恋愛には悩むんや』って。なんや、こいつらもわれわれと同じやんと思ったら急に親しみが湧いてきましたね」  眠田さんのホームページ(http://member.nifty.ne.jp/mindy/)は日本語オンリーにもかかわらず、たまにこうした海外のオタクからのアクセスがある。そして、マイナーなネタであればあるほど、興味をもって問い合わせてくるのだという。映画館で配られるチラシや新聞広告などおよそ海外では入手困難なレアものを送ってあげると、「これがほしかったんや!」と大喜びしてくれるのだ。逆に、眠田さんが大好きな『スタートレック』ものを送ってもらうこともある。  「インターネットの力は大きいですね。メール一本で趣味の友だちが簡単に国境を越えて増えていってしまいます」  どんなに狭い世界のことでも本気で取り組めば、そこをアクセスポイントにしてどんどん活動の場が広がっていく。オタク人間のマルチぶりには学ぶべきものがありそうだ。

取材・構成/松岡一郎