眠田直のこんなモノが欲しい!(24)

鷹は舞い降りた



 あれはまだ僕が小学生の頃。たぶん「野球」というものを知った頃から、ずっと南海ホークスが好きだった。

 きっかけは、おそらく73年に野村監督の指揮のもと、リーグ優勝を飾ったシーンをたまたまTVで見たことだった。今じゃ野村克也と言えば「ID野球」のイメージが強いけど、この頃はまだ若々しく、選手と監督を兼任する「プレーイングマネージャー」だったのだ。
 で、この時は日本シリーズでは巨人にあっさり負けちゃったんですけどね。まぁ世間一般的には、巨人V9の最後の年という事で記憶されてるんでしょうな。
 ちなみにこの年から「侍ジャイアンツ」のアニメも始まっていて、日本シリーズで対戦した南海は、劇中とってもワルモノに描かれていました。それ以来「巨人を賛美」したり「巨人をかっこよく表現」するアニメは大っ嫌いです。ぷんぷん!

 さてこの後、現実の南海ホークスは77年の野村監督解任騒動あたりから、ずっと低迷を続けておりましたとさ。なおかつ大阪球場をフランチャイズとしながら、関西では何と言っても阪神タイガースが圧倒的人気。おまけにこの頃のパリーグは、阪急ブレーブスの黄金時代で、我がホークスの目立たないことといったら、そりゃもう泣きたくなるほど。新聞の扱いは小さいし、テレビ放映の状況もひどいもの。南海の試合なんて、日曜とか土曜の昼間にたまーにやる程度。それも1時間半ワクくらいで延長無し!

 当時の男の子の定番アイテム、野球帽ですら、お店には阪神か巨人のマークの入ったやつばっかしで「NにHの緑の帽子」を見つけるのずいぶん苦労した思い出が…。はっ、私が今でも野球帽を被る習慣があるのは、この頃の飢餓感のせいなのかも! 他に当時出てたホークスグッズなんて、小旗とメガホンくらいなもんで、球団歌のレコードなんざ、78回転盤時代に出たっきりらしいぞ。とほほ。

 しかし89年、そんな状況が一変する。南海電鉄からダイエーに球団が譲渡されたのだ。いやー、親会社が変わったとたん、球団歌CD、マスコットキャラのぬいぐるみ、Tシャツ、ピンバッジ、ジャンパー、写真集からスクリーンセーバー、さらには城島捕手の限定フィギュアや、秋山選手の博多人形に至るまで、「こんなモンが欲しい」的にリクエストする隙も無いくらい、ありとあらゆるグッズがでまくりました。おまけに衛星多チャンネル化の恩恵で、ホークスの試合もほぼ全試合観れるようになったし。南海時代からしたら信じられないくらい恵まれてるよ〜。

 でもね、やっぱしダイエーになってからも、成績はパッとしないんだよね。どんなグッズよりも、ファンとしては優勝してほしいのだ。
 だってまだ僕は「自分の応援するチームが優勝した時の幸せな気分」って知らないんだもん。今は何よりもそれを望むよ。

(付記)現時点でダイエーと二位西武とのゲーム差は僅か。この号が出る頃には結果が出ていると思うけど、うーーん、どきどき。

★9/25、福岡ダイエーホークス、パ・リーグ制覇! いやー気分最高ですなぁ(喜)


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